愛しい君へ ーがんばり過ぎないということー

愛しい君へ

 

君はいつも、習い事のお稽古とか、ママが出す宿題を、一生懸命こなしているね。

パパはいつも微笑ましく、そして、誇らしく君をみているよ。

 

でもね、パパにはひとつ、心配なことがあるんだ。

それは君が、ちょっと頑張りすぎているように見えることだよ。

 

時に君は目にくやし涙を浮かべ、必死にいろいろとこなしているね。

君がとても頑張り屋さんで、負けず嫌いなのはよく知ってる。

 

でもね、そんなに頑張らなくたって、いいんだよ。

 

いつも人より優れていなくたっていい。

上手くできないことなんて、あったっていい。

 

肩の力を抜いて、リラックスする。

深くゆっくり呼吸をしながら、静かに集中する。

 

緊張と解きほぐすこと、これが大切なんだ。

 

頑張りすぎているとね、いつか心が疲れてしまって、嫌になってしまったり、

知らないうちに疲れが溜まって、パパみたいに身体を壊してしまったりするんだよ。

 

何事も、ゆっくりと、長く続けることが、うまくやる秘訣だよ。

 

いいかい、もう一度言うね。

決して、頑張りすぎてはいけない。

 

よく覚えておくんだよ。

 

 

 

 

 

愛しい君へ ー小さい頃の気持ちってー

愛しい君へ

君はいつまでパパと遊んでくれるんだろう?

 

4歳の君は、目をキラキラさせながら、こう答えた。

「そんなのずっとに決まってるじゃん」と。

 

7歳の君は、少し眉をひそめながら、こう答える。

「そんなのいつまでかわかんないよ」と。

 

何度もそう答える君に、パパはちょっと悲しくなって、その理由を聞いたら

君は「悲しくなるから聞かないで」と言ってボロボロと涙をこぼした。

 

君はまだ小さいのに、少しずつ、世の中のことわりを理解し始めているんだね。

 

パパはふと、自分の小さかった頃のことを、思い出したよ。

 

大好きなおばあちゃんの横で眠りながら、おばあちゃんの静かな寝息をききながら、

ずっと一緒にいられないことを思い、密かに涙したことがあった。

 

愛しい君へ。

でも、大丈夫だよ。

 

キラキラした君のその思いは、大きくなっても、心の奥の宝石箱に、ちゃんとしまわれているから。

そうやってみんな、大きくなっていくんだよ。

 

大人になった時、ときどき、その宝石を心の奥底から取り出して、そのキラキラを眺めてみてもらえたら、

パパ、こんなに幸せなことはないな。

 

 

 

 

愛しい君へ伝えたいこと(はじめに)

愛しい君へ

 

君はもうすぐ8歳になるね。

君が生まれてきて、パパの人生は変わった。

 

本当に人を愛おしいと思うことができた。

パパに幸せをくれた人、心の底から大好きだよ。

 

パパはいま、病気になってしまい、ちょっと心が沈んでいます。

幸い命に関わるようなものではないけれど、パパの右目には傷害が残ってしまいます。

 

大好きな本を、これまでのようにたくさん読めなくなると思うと、ちょっと寂しい気分だよ。

人生にはたくさんの良いことがあるけど、残念ながら、辛いことや悲しいこともあるんだね。

 

パパはいつも、願っています。

 

君の人生、ひとつでも、良いことが増えますように。

ひとつでも、悲しいことが減りますように、と。

 

そのために、パパは君に教えてあげたいことが、山のようにあるんだ。

でもまだ君は小さいから、すべてを一気に教えてあげることができません。

 

だから一つずつ、ここに書き残しておこうと思います。

今はまだ、パパの頭やパソコンの中だけにあるものを、ひとつひとつ書き残してゆきます。

 

消えてなくなってしまわないように。

いつの日か必ず君に、伝わるように。

 

 

2019年11月 パパより

 

 

*だって人生、何が起こるかわかったものじゃないから。

 いつか君に直接教えてあげられる日を、心待ちにしながら。

  

 

 

 

 

 

 

 

記憶を10倍定着させる、私の仕事術(お気に入りの文房具とその使い方について)

ぼくはこれまで、色々な仕事術を試してきたが、どれもあまり定着することはなかった。しかし唯一、習慣として続いていることがある。それは他ならぬ、自分であみだした方法だ。大げさなものではないのだが、今日はそれを紹介しよう。

人生を変えた、私の仕事術

仕事術なんてものは世の中に溢れかえっている。仕事がうまくいかなくて困ってるのはぼくだけじゃないのだと、たくさんの本を読みあさったものだ。GTDしかり、ファイルの整理術しかり、それぞれ、方法はすばらしい。しかし、ものぐさな自分には長続きしなかった。どうも仕事術自体が重荷になってしまう。そう、面倒くさいのだ。
 
どうやら、ぼくに続けられることと言えば、「限りなく負荷が低くて、日常生活の中でも特に意識せずにできること」に限られているようだ。悲しいが、めげる事なかれ。簡単なことから始めようではないか。小さな一歩を踏み出せば、いずれ大きなことも出来るようになると、信じている。
 
前置きが長くなったが、ぼくが習慣化している仕事術は以下の通りだ。
 
「ノートをスキャナで取り込み、PCに保存する」
 
ただそれだけ。
 
仕事術というより、だたの方法。しかし、ぼくはこの方法で、仕事のヌケやモレをずいぶん減らしたし、それまでの何倍も大切なことを憶えている。
 

この方法には大切なポイントが2つある。

1つめは道具、「なにより道具選びが大切だ」

ぼくが愛用しているのは、マルマンのノートパッドとPILOTの消せるボールペンという組み合わせだ。この組み合わせが、実にいい。
 
ノートについて説明しよう。ぼくが使っているのはマルマンのニーモシネというノートだ。これは、ぺりぺりと一枚一枚切り離せるタイプのノートパッドになっている。切り取った後のノートがちょうど規格どおりのサイズであるため、とてもスキャンし易い。ぼくがよく使うのはA5サイズのノート。紙質も丈夫で、決してヨレたりしないので、スキャナの目詰まりも起こさない。ごくごく簡単に作業できること。これが何よりのポイントで、ものぐさなぼくでも、自然に習慣化できている。スキャンに手間取ってしまっうようでは、決して長続きはしなかっただろう。
 
ついでにフリクションボールについて説明する。いわずと知れた消えるボールペンだ。2007年に発売され、いまではたくさんのラインナップがある。ぼくは10年来の愛用者で、最初は「こすると消えてしまうなんて、インクの耐久性は大丈夫なのだろうか?」と思ったものだ。長年使い続けてきたが、今のところ実害はない。似たような製品もあるのだが、ぼくはやはりフリクションボールの書き心地が好きだ。ペン先0.7mmを愛用しており、とても力強い線をひくことができる。色は青と赤を使うことが多い。ふだん書きは青を使い、アクセントとして赤を使うといった具合だ。
 
なお、スキャナについて、オフィスでは備え付けの複合機を使用している。とても早く連続スキャンができて、LAN経由でPCにファイルを転送してくれる。ゆえに、作業の負荷がほとんどない。自宅では小型のドキュメントスキャナを机の脇に置いている。ぼくが持っているのはScanSnap S1300で、もうずいぶん前に買ったものだが、とても気に入っている。

2つめは方法、「記憶を定着させるスパイス」がある

スパイスとは、記憶を定着させるためのちょっとして工夫のことだ。ちょっとした、というところがとても大切だと思っている。
 
ぼくはスキャナで読み取ったノートを、PDFで保存している。ひとつの纏まりごとにタイトルをつけて、全て同じフォルダに保存している。テーマごとにフォルダを分けても良いのだが、ここでも面倒くさいことは決してしない。タイトルさえちゃんとつけておけば、あとで目的のファイルを見つけることができる。タイトルのつけ方は色々あるが、ぼくは基本的に、次のルールでつけている。最後の項は、検索時にノートを見つけ易くするためのスパイスだ。
 
 日付 + 主題+ 人名あるいは自分の感情など
 
また、ぼくはある程度ノートを書き溜めたところで、まとめてスキャンする。その方が作業の手間がかからないし、時間をおくことにより記憶の定着を促している。タイトルをつけるためノートの内容を簡単に見返すのだが、この時、忘れていたことを結構思い出す。時を置いて思い返したことは、記憶に残りやすい。自慢じゃないが、ぼくはあまりノートを見返す習慣がなかった。これは今思い返せば致命的なのだが、ノートの保存作業はそんなぼくに、優しくノートを復習させてくれる。
 
一歩踏み込んで、さらに記憶を定着させるための秘訣がある。それは、ノートの保存と同時に、ポイントや思い出したことを、何かに書き出していくのだ。これは手帳や紙よりも、電子媒体がよい。すべてのノートについて、この作業を行う必要はない。本当に大事なことや、覚えていたいこと、あるいは自分の素晴らしいアイデアを書き出しておけばよい。そうすることで、記憶はもっと定着するし、何より簡単にそれらを見返すことができるようになる。
 
スキャンしたノートはさっさと捨ててしまおう。だってあなたのノートは、しっかりPCに保存されているのだから、なんの心配もない。これで机の中はいつもスッキリするし、大量のノートを溜め込むこともなくなる。思うにノートの良さは、書く内容の自由度と、買いたページの見やすさにある。しかし欠点として、どうしても物理的にかさばってくるし、一冊のノートの中に重要な情報とそうでないものが混ざってしまう。たいして重要でもない情報を、物理的に抱え込まないことは、実に気分がいい。
 

最後に、自分のスタイルを作ろう

ぼくは、A5サイズのニーモシネに専用のノートカバーをつけ、ペンを一本差し込んでどこへ行くにも持ち歩いている。何か思いついたことがあったら、いつでもどこでも、ノートをひらいて書き込む。簡単なメモからアイデア出しまで、なんでもこなす。パソコンやスマホのように、欠かせないぼくの相棒。そう思えるような道具や方法を、あなたにも手に入れて欲しい。
 
以上、とても簡単な仕事術であったと思う。しかし何度も繰り返すが、簡単であることが何より大切なのだ。どんな仕事術であっても、特に意識しなくても続けられることが重要だと、ぼくは思う。毎日少しずつ工夫を重ね、自分のスタイルとして習慣化することが大切なのではないだろうか?

典型的な夜型人間であったぼくが、早起きを習慣にした方法

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子供のころから早起きが苦手だった

ぼくは早起きが苦手だ。
いや、訂正しよう。ぼくは早起きが苦手だった。
 
思えば、ぼくの寝坊癖は小学校の頃から始まっている。いつも母親に叩き起こされ、寝ぼけ眼で朝食のパンを口に運んでいた。しかし朝食などろくにとれないままに、時間に追い立てられ、重い足取りで学校に向かう。夏休みのラジオ体操なんて2−3回しか参加した覚えがない。近所には毎朝早起きして散歩している同級生がいたが、ぼくにはとてもそんな真似はできなかった。ぼくは彼に羨望のまなざしを向けるどころか、「じじくさい」と言って敬遠していたものだ。
 
ぼくの寝坊癖は、大人になっても変わらなかった。いつも時間ギリギリまで寝ている。朝は2重3重にもかけた目覚まし時計を次々に止めて、最後の一つで這い上がるように起きる。まるでゾンビだ。ぼくは起きたあと1時間はおなかが空かないので、朝食なんてまともに食べられない。それでもなんとか、ヨーグルトやバナナなど、軽めのものを流し込んで出勤する。仕事で早起きしなければならない時なんて、2−3日まえから憂鬱な気分になったものだ。ここまで書くと、もはやダメ人間だ。
 
早起きは三文の得という。小学生のときは「じじくさい」と思っていた早起きも、大人になるにつれて良いイメージへと変わっていった。漫然とではあるが、早起きをするという事に、さわやかなイメージが付いて回るようになった。また、多くのビジネス書では著名な経営者や学者が、早起きの効用を謳っている。多くの成功者が早起きを習慣としており、自身の成功の一因としているのだ。ことわざの通り、早起きには実利が伴うということが、ようやくぼくの頭でもわかってきた。
 

早起きへの挑戦と挫折、典型的な夜型人間は変われない?

ぼくはこれまでの人生において、何度も早起きの習慣化にトライしたことがあるが、ことごとく失敗してきた。典型的な夜型人間であったぼくは、眠りにつく直前まで本を読んだりTVを見たり、何かをせずには居られない。目覚まし時計を何個かけても、どんなに気合いをいれても、上手くいかなかった。何日か続けて早起きできたとしても、あくまで単発であって、決して習慣化することはなかった。時折、思い返したようにトライしてきたが、一度も成功した事がない。今のぼくに言わせれば、そんなもの成功するはずがないのだ。
 
しかし、今ぼくは早起きをしっかりと習慣化できている。そして、早起きの効果を実感し始めている。今のぼくにとって、まだその変化は小さなものかも知れないが、長い人生では大きな差になるだろうと確信している。まさに、継続は力なり、と言ったところだ。大げさかも知れないが、人生が変わっていく気配を感じとっているのだ。
 

ぼくが早起きの習慣化に成功した方法

では典型的な夜型人間であったぼくが、どうやって早起きを習慣化できたか?。その格子となった方法を以下に挙げた。書き出してみると何とも平凡なので、苦笑してしまう。しかし、実際、筋金入りの寝坊助だったぼくが、早起きを習慣化することに成功しているのだから、バカにしたものじゃない。世の中に数多ある真理は、大切なものほど簡単に書き表せるのかも知れないと、ぼくは考えている。ひとつひとつ、説明する。
  • ぼくは朝を人生を変える大切な時間と位置づけている。
  • 朝起きたあとのことを想像して、寝る前に環境を整えておく。
  • 目覚まし時計をかけ、早めに眠りにつく。
  • そして何より、早起きを楽しんでいる。 

ぼくは朝を人生を変える大切な時間と位置づけている。

行動を継続するにはモチベーションが必要だ。目的と言い換えてもいい。まずは自分がどうして早起きしたいのか、朝の時間をどう使うのか、突き詰めて具体的に考えることだ。紙にたくさん書き出してみるといい。ぼくは、相応の年齢になって、今後の人生をどう歩もうか模索し、考え続けている。より良い方向に進むため、朝の時間を読書や勉強、考え事に使っているのだ。目的は人それぞれ違うだろう。健康のために運動をするのもよし、家族との時間にあてるのもよし、仕事や趣味に没頭するのも良いだろう。夢や野望があるならば、そのために使うべきだ。
 

朝起きたあとのことを想像して、寝る前に環境を整えておく。

早起きの準備は前夜に始まっている。早起きしてやりたいことを定めたら、翌朝できるだけスムーズに事が運ぶよう、準備しておくのだ。ぼくの場合は、まず机の上をきれいに片付ける。あるべきものを、あるべき場所へ。余計なものは隠してしまう。次に、読みたい本や書きかけの書類、考えたいトピックスなんかを、机の上に準備しておく。翌朝コーヒーを持ったぼくが、スムーズに集中できるようにしておくのだ。これは殊のほか大切な儀式だ。自分の潜在意識に早起きをインプットする効果があると、ぼくは思っている。今のぼくは大概、目覚ましが鳴るまえに自然に目が覚める。
 

目覚まし時計をかけ、早めに眠りにつく。

あたり前だが、早起きするためには早く寝る必要がある。残念ながら、ぼくはショートスリーパーではない。一日をまともに過ごそうと思ったら、少なくとも6時間は寝なければ都合が悪い。以前のぼくは寝るのが惜しくて、いつも夜更かしをして本を読んだり何かを調べたりしていた。しかし、知的作業をするならば、俄然朝の方が効率がよい。自分のためを思って使う時間だからこそ、夜の疲れた心と頭で考えるよりは、朝のフレッシュな頭を割り当てたいものだ。夜はすっぱりあきらめて、さっさと寝てしまうのがよい。早起きが習慣化すれば、自然と眠たくなる。
 

そして何より、早起きを楽しんでいる。

これはもっとも重要なスパイスだ。誰しも楽しくないことを継続することは、それなりにエネルギーを使うものだ。モチベーションや目的がどんなに崇高であっても、気分が乗らないと、実行するのは難しい。特にぼくは、楽しくない事を継続することが苦手だ。だからこそ、ひとつひとつの障壁をなるべく低くしてやることに腐心している。ポイントは、楽しむことだ。まず自分が楽しいと感じる事を、朝の時間に割当てている。しかし時には、気分の向かない知的作業は放ってしまって、散歩にでかけることもあるし、寝たいだけ寝ることもある。そんな自分を責めず、長い目で見て、習慣を継続できていればそれで良い。
 

 まとめ

以上は早起きをするための、ぼくにとって効果的な方法だが、その他に細かい工夫を色々している。例えば、TVはつけない、気分にあったBGMを流す、起きがけにベランダで少しだけ日光浴をする、ジュースやコーヒーで血糖値を上げる、といったような工夫だ。長くなってしまうので、すべてを書く事は出来ないし、ひとつひとつの説明も割愛する。早起きに関する本、自己啓発の類いの本にも色々紹介されている方法を参考にしながら、自分に適したやり方を探し、試しながら楽しんでいる。

ブログを始めるにあたっての初心表明

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ブログを始めるにあたっての初心表明

記事の投稿開始と前後してしまうが、今回はぼくがブログを始めた理由を書く。どういったきっかけでブログを始めたのか、また、どういったコンセプトで記事を書いていこうと思っているのか。現時点での考えをまとめておきたい。

 

インターネットとの出会い、行動できなかった自分

ネット上に情報を発信したいと思ったのは、もうすいぶん昔のことになる。初めてPCを手に入れた時。今は昔。かれこれ15年近くも前の事だ。当時、ブログなんていうものはなかったと思う。

 

ぼくはPCを手に入れたことをきっかけに、漠然と自分のHPを作ってみたいと思っていた。しかし、それには大きな問題が2つあった。1つは、HPを作るスキルがなかったこと。そして何より、ぼくには人に向かって発信したいことなど何もなかったのだ。

 

後者は致命的だ。ぼくは人に誇れる趣味など持っていなかったし、誰かにとって有益な情報も持ち合わせていなかった。コンテンツである以上、何らかの意図や目的が与えられるべきだと思う。正直なところ、何を作ったらよいか、自分自身でわかっていなかったのだ。

 

「自分は自分、他人は他人」。当時のぼくは、誰かに自分のことをわかって欲しいなど、微塵も思っていなかった。なんら方向性のないHPが出来上がるのは目に見えていたし、HP作成の原動力となるパッションも欠けていた。ときおり思い返したように「HPを作りたいな」と思う事はあったが、一歩を踏み出すには至らず。実に長い年月が過ぎてしまった。

 

ブログを始めたきっかけ、書きたいこと

今頃ブログを始めるに至ったのは、ぼくが抱えていた問題が解決したからに他ならない。1つはブログという形式をとる事により、HP管理のスキルがほとんど不要となった。もう1つは、書きたいことが出来た、ということになる。「書きたいことができた」これが何より大きな理由だ。

 

では何を書くつもりか?。それは、日々の生活の中で思うことや、勉強したこと、人生をより良くしようとぼくが実践していること。実にたわいもない、ぼくの日常だ。プロフィールにも書いたが、ぼくはサラリーマンで、エンジニアだ。ともすれば面白みに欠けるかもしれないが、世の中の多くはそんなものだ。ゆえに、ぼくが日々思う事には、少なからず共感してくれたり、何かを考える参考にしてくれる人がいてもいいんじゃないかと思っている。

 

ブログを始めた一因は会社での挫折にもある。まあ、多分に漏れず世の中は理不尽であり、辛酸を舐めさせられることが沢山ある。それらに対し、どのように向き合えば良いか?また、どのように対処すればよいか?。ぼくは日々考えて、試行錯誤している。そういったものを書き留めておこうと考えている。書く事は自分の考えをまとめていく作業でもある。

 

より良い人生を歩むために、どうすれば良いのか?誰しも共通の課題だと思う。もともと自由志向が強いぼくは、仕事なんてうっちゃって旅に出たい。今を楽しむんだ!なんて想像を働かせることがあるが、一部の恵まれた人間を除けば、事はそんな風には運ばない。しかし、遠く先の健やかな老後を見据え、努力や忍耐、自己犠牲からなる人生なんて面白くもないだろう。理想と現実にどう折り合いをつけ、今に向き合うか?それがぼくの課題だ。

 

書く事で、自分の考えが深くなり、書いたものが、誰かの思考の糧になるならば、こんなに嬉しい事はない。

学歴と就職、仕事ができるという事の関係について

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会社人生と学歴

学歴ほど人生についてまわるものはあるだろうか?ぼくは、それなりの規模の企業で働いているが、否応なしに学歴を意識させられることがある。石を投げれば有名大卒にあたるような環境だ。上を見ればきりがなく、地方大出身は肩身が狭い。個人的には、学歴なんて人を測るにはあまりにも偏った物差しだと思っているが、世の中そうは問屋がおろさない。自分の所属する会社や組織の価値観には、否応無しに影響を受けるものだ。

 

今回は誰しも多少は意識せざるを得ない学歴について書く。仕事ができるという事への影響、就職活動への影響を考える。いずれも実体験を通して感じ、考えたことだ。

 

仕事ができるという事と学歴について

結論からいうと、学歴と仕事のできは無関係だ。より正確に言えば、学歴は仕事ができることについて必須の条件ではない。もちろん、地頭がよいことは仕事をする上で望ましい。職種によっては一定水準の学力や専門性が必要であることは否定しない。しかし、「学歴」=「仕事ができる」という事には、必ずしもならない。より上のキャリアをもつ者が、常に良い結果を出す訳ではないのだ。これは実体験を通じて確信している。

 

では、学歴以外に、仕事のできに直結する重要な要素は何かと言えば、代表的なものは忍耐強さや人間関係の形成能力だろう。あたり前かも知れないが、仕事で結果を出す上で、とても大切なことだ。忍耐強さについては、往々にして学歴の高い人の方が優れている傾向があるが、人間関係の形成能力は学歴とはまったく関係がない。頭はいいんだろうけどこの人ちょっと、、というような人は沢山いる。人の事は言えないが、ぼくはそういう偏った人たちをたくさん見てきた。

 

そして、世の中にある多くの仕事には、天才的なひらめきなど必要ない。確かに面倒くさい仕事、ややこしい仕事はたくさんある。しかし、細かなステップに分けて一つ一つ進めてゆけば、凡人にだってできる。世の中は大多数の凡人で成り立っているのだ。もちろん、人それぞれ仕事を進めるスピードに差はあるだろう。ゆえに、それを上手く進められるスキルや人間関係、ひたむきな姿勢が、仕事での成果につながるのだと思っている。やや泥臭い話だ。

 

話が逸れてしまうが、出世するには仕事のでき以上に、人間関係がとても重要になってくる。どんな上司もかわいい部下を昇進させるものだ。世の中、結局、好き嫌いで動いている。出世させる側(上司)の実益を考えても違和感はないだろう。仕事ができる部下、使いやすい部下が昇進するのは当たり前の話だが、上司から見れば、自分に歯向かわない部下、自分を盛り立ててくれる部下を引き上げることは、自分の立場を守る上で重要だ。概して組織はイエスマンはかりで固められてしまうことになるが、その末路はいかなるものか?これについては別の機会に考えたいと思う。

  

就職活動と学歴について 

学歴は就職に無関係かというと、大いに関係する。これは万人が認めることだろう。学歴と仕事のできは無関係なのにあんまりじゃないか、と思わない事はないが、事実なのだから仕方がない。就職活動の選考過程には明らかに学歴のフィルターが存在する。これは企業側から見て、効率よく採用活動を進める上で極めて合理的だ。大手企業には膨大な数のエントリーシートが届く、彼らのモノサシでもって効率的にフィルタリングされるのは仕方がないことだろう。

 

なぜなら、話をひっくり返すようだが、学歴が高い人のほうが、仕事ができる確率が高いからだ。学歴は仕事のできとは関係ないことは先に書いた。これは仕事の成果にとっては、今、どのようにとり進めるかが何より重要だからだ。しかし、仕事のできとは無関係と言っても、仕事に対する人のポテンシャルはある程度学歴と相関する。長く苦しい受験競争を勝ち抜いてきた人は、相応に忍耐強く、目標達成に向け計画的に物事をすすめることが期待できるからだ。これは仕事を進める上でとても重要な資質だ。

 

そして、多くの組織が社員に求めているのは、何より忍耐強くて従順であることだと、ぼくは理解している。組織における仕事は細分されていて、正直つまらない事が多い。いつもいつも自分のやりたい事をできる訳ではない。そのような状況で責任感を持ち、仕事を黙々とこなすには強い忍耐力が要求される。確かに、頭の善し悪しに個人差はある。しかし、所詮そんなもの50歩100歩。一部の例外を除き、ぼくは人の能力にそれほど大きな差はないと思っている。しかし、忍耐強さの一指標である学歴は高いにこした事はないのだ。

 

残念ながら、これからも学歴は就職に大きな影響を及ぼし続けるだろう。学歴がその人の能力や専門性、そして忍耐強さの一指標である以上しかたがない。だけど、先に触れたように、仕事で成果を上げるには学歴では測れない大切なことが沢山ある。思うに、新卒採用において面接時に部活や課外活動についてのやりとりが定番となっているのは、これが理由かも知れない。外国人から見たら、日本特有のこの様なやり取りはとても奇異に映るらしい。しかし、面接官が学力以外の要素を推し量っていると考えれば、一理あるのだろう。

 

会社人生と学歴、その向き合いかた

一部の人にとっては代え難い誇りであり、大部分の人にとっては悩ましい過去である学歴について、ぼくたちはどういった姿勢で日々の実生活と向かい合えばよいのだろうか?。もちろん、答えは人それぞれだろうが、ぼくはまずもって気にしないように努めている。学歴を鼻にかけても良いことはないだろうし、逆に不要な劣等感を覚えても悪い方に転んでしまう。会社によってはいつまでも学歴の呪縛がつきまとうこともあるだろう。完全に無視することはできないかも知れない。しかし、大切なのは今なにをするか、そして将来なにが出来るようになるか、ここにフォーカスすることだと思っている。過去の呪縛に捕らわれる事なく、より良い未来を掴むために、今と真剣に向き合うことが大切だ。結局は自分次第なのだから。